柳葉敏郎さんって結婚してるの?
奥さんってどんな人なんだろう?
俳優として活躍する柳葉敏郎さん。
ドラマ「踊る大捜査線」の室井慎次役のイメージが強い方も多いのではないでしょうか?
かっこいい役柄とは裏腹に、プライベートでは良き夫、良きパパとしての一面も持たれています。
柳葉敏郎さんは、結婚して二人の子供を持つ父親です。
現在は故郷の秋田県で暮らしておられます。
都会で華々しく活躍する人気俳優が、
なぜ生まれ故郷での生活を選んだのでしょうか?
今回は、柳葉敏郎さんと奥様の馴れ初めから、秋田移住を決意した理由。
そして現在の家族の暮らしぶりまで、徹底的に紹介します!
意外なエピソードとご族を大切にする柳葉さんの姿に、きっと心が温まるはずです。
まるでドラマのような出会い。
柳葉敏郎さんと奥様の裕子さんの出会いは、1994年、柳葉さんが33歳の時でした。
当時、人気絶頂の俳優として活躍していた柳葉さんが参加したゴルフコンペ会場での出来事でした。
ゴルフ好きで知られる柳葉さんが参加したのは、フジサンケイクラシックのプロアマ戦。
多くのギャラリーが詰めかける中、ひとりの女性が柳葉さんに熱い視線を送っていました。
その女性こそ、後の妻となる裕子さんだったのです。
当時、柳葉さんの大ファンだった裕子さんはギャラリーとして参加していました。
コースを回る柳葉さんに「ギバちゃん、頑張って」と声援を送り、手紙を手渡したそうです。
そして、後日談で語られたエピソードが、二人の運命を動かします。
なんと、その手紙には裕子さんの電話番号が書かれていたのです!
今や誰もが携帯電話を持つ時代。
しかし、当時はまだ携帯電話が普及しておらず、固定電話が主流でした。
自宅の電話番号を伝えるということは、それだけ強い想いと信頼の証でもあったのです。
柳葉さんは、その電話番号に後日電話をかけ、交際へと発展していきました。
この時のエピソードを、柳葉さんは「徹子の部屋」で嬉しそうに語っておられました。
電話に出たのがお姉ちゃんで、『ねえ、ギバちゃんから電話よ』と驚いていたそうです!
まるでドラマのワンシーンのような、ドキドキするような初恋の始まりですね!
そして、運命に導かれるように惹かれ合った二人は、
約3年間の交際を経て、1997年4月にゴールイン
柳葉さんが36歳、裕子さんが24歳の時でした。
結婚当時、熱愛報道などもなく、まさに電撃結婚だったため、二人の結婚は世間を大きく驚かせました。
「子供ができたら、自分の故郷で、
自然に囲まれた環境でのびのびと育てたい」
柳葉さんは、結婚前からそんな夢を胸に抱いていたそうです。
それは、柳葉さん自身が幼い頃に父親を亡くし、寂しい思いをした経験があったからかもしれません。
自分が親にしてもらいたかったことを、子供たちにしてあげたい。それは、できるだけ一緒にいてあげること
柳葉さんの言葉からは、家族への深い愛情が感じられます。
しかし、奥様の裕子さんにとって、秋田への移住は大きな決断でした。
静岡県熱海市で育った裕子さんにとって、秋田県はまさに未知の世界。
都会の快適な生活を捨て、右も左もわからない土地で新生活を始めることに、当然ながら不安は大きかったでしょう。
「えっ、聞いてない・・・」
長女が幼稚園に入園するタイミングで、柳葉さんが初めて秋田移住の希望を口にした時、裕子さんは驚きを隠せなかったそうです。
そりゃあ当然です。
長年住み慣れた土地を離れることは、誰にとっても簡単なことではありません。
ましてや、子育て中の母親にとって、環境の変化は大きなストレスとなるでしょう。
それでも、柳葉さんは諦めませんでした。
時間をかけて、自分の想いを丁寧に裕子さんに伝え続けたそうです。
そして、二人の愛を決定づける出来事が起こります。
それは、裕子さんが交通事故に遭ってしまったことでした。
この時、柳葉さんは仕事の合間を縫って、献身的に裕子さんを看病されたそうです
3日間ずっと一緒にいたことで、いろんな感情が深まりました。
愛し続けたいと思わせてくれる存在なんだと確信したんです。尊敬もした。
この人のために仕事ができるかもと思えたんです!
一途な柳葉さんの愛情と、その真剣な姿に、裕子さんの心は大きく揺り動かされたのではないでしょうか。
そして、柳葉さんへの深い愛情と、彼と共に人生を歩む決意が、秋田行きを決断させたのかもしれません。
その後、長女が幼稚園を卒業するタイミングで、柳葉さんは再び秋田移住を提案。
ついに、裕子さんから「わかりました、行きます」と、承諾の言葉を得ることができたのです。
2003年、柳葉一家は、柳葉さんの故郷である秋田県大仙市に移住しました。
長女の小学校入学を機に、いよいよ新しい生活がスタートしたのです。
しかし、慣れない土地での生活は、裕子さんにとって想像以上に大変なものだったようです。
「東京に戻りたいんだけどな」
移住してわずかひと月後、裕子さんは、柳葉さんに本音を漏らしたそうです。
静かで自然豊かな環境での子育てを望んでいた柳葉さんとは対照的に、裕子さんは都会での生活を希望していました。
特に、裕子さんの実家は静岡県熱海市という温暖な地域であり
冬の寒さが厳しい秋田の環境は、大きな変化だったに違いありません。
長女は、小学校に入園したばかり。
慣れない環境の中、友達もまだできない中、寂しさを感じていたのかもしれません。
また、裕子さん自身も、慣れない土地での人間関係の構築や、日々の生活に苦労していたのではないでしょうか。
柳葉さんは、そんな裕子さんの気持ちを察し、家事や育児に積極的に参加するなど彼女を支えようと努力したそうです。
また、時間を見つけては家族で外出したり、地元の人々との交流の場を設けるなど、秋田の良さを裕子さんにもっと知ってもらおうと努めたかもしれません。
都会の一流レストランでの食事や、華やかなデパートでのショッピングとは違う、秋田の素朴な魅力。
新鮮な食材を使った郷土料理や、人々の温かさ、雄大な自然の中で過ごす時間・・・
そして、何よりも大切な家族との穏やかな時間。
徐々に秋田での生活に慣れていく中で、裕子さんの心にも変化が訪れたのではないでしょうか。
秋田移住から10年以上が経ち、柳葉ファミリーは、秋田での生活を満喫されているようです。
柳葉さんは、仕事で東京に行く際は、秋田から新幹線で通っています。
移動時間は片道約4時間。ハードなスケジュールにもかかわらず、
柳葉さんは「家族との時間を大切にしたい」と、毎週末には秋田に帰っているそうです。
都会と田舎の二重生活は大変そうですが、「子供たちの笑顔が見たいから頑張れる」と語る柳葉さん。
その言葉からは、家族への深い愛情が伝わってきます。
奥様の裕子さんは、秋田の生活にも慣れ、地域の活動にも積極的に参加しているそうです。
柳葉さんのInstagramには、家族で地元のイベントに参加したり、自然の中でBBQを楽しむ様子などが投稿されています。
長女のさくらさんは、中学時代にはソフトテニスで全国大会に出場するほどの実力者。
父親譲りの運動神経の良さを見せています。
大学進学後も、柳葉さんと一緒にテニスを楽しむ様子がInstagramにアップされており、親子仲の良さがうかがえます。
長男の一路くんは、小学生の頃から野球を始め、ピッチャーとして活躍。
柳葉さんも、息子さんの野球の試合を応援する様子を度々Instagramに投稿しており、「親バカ」ぶりを発揮しています。
柳葉さんは、地元の子供たちのために、ソフトテニスのチャリティトーナメントを主催。
また、地域のイベントに積極的に参加するなど、その活動は多岐にわたります。
柳葉さんの活動は、地元の人々からも高く評価されており、
「いつか秋田県知事選に出馬するのでは?」という噂もあります。
熱烈なファンだった奥様との結婚。
そして故郷・秋田への移住という大きな決断についてお伝えをしてきました。
・秋田移住は柳葉さんの夢だった
・奥様は反対していた
・奥様も子供も現在も幸せに暮らしておられる
秋田県での生活は、決して楽なものではなかったでしょう。
都会の便利さや華やかさとは違う環境の中、裕子さんは、戸惑いや寂しさを感じたこともあったかもしれません。
それでも、柳葉さんは、家事や育児を積極的に手伝ったり、家族で地元のイベントに参加したりするなど、
妻の裕子さんを支え続けて、共に秋田での生活を楽しもうと努力されたことでしょう!
その甲斐あってか、今では、家族みんなで秋田での生活を満喫しているようです。
柳葉さんのInstagramからは、子供たちの成長を喜び、家族との時間を大切にする柳葉さんの姿が伝わってきます。
俳優として、そして父親として、故郷への愛を胸に、精力的に活躍する柳葉敏郎さん。
これからも、その温かい人柄と、家族への愛情で、多くの人々に感動を与えてくれるのではないでしょうか。