ダンビラムーチョ大原の高校はどこ?弱小野球部の真相とは!

「弱小野球部あるある」

このネタで大人気のダンビラムーチョ大原さん。

そのネタは、自身の高校時代の経験がベースになっているのです!

大原さんも高校時代は弱小野球部に所属していました。

どこの高校に通ってたの?
本当に
弱小野球ったの?


ファンなら気になりますよね!

今回は、ダンビラムーチョ大原さんの知られざる高校時代を

エピソードを交えながら振り返っていきます。

あの面白さは、どんな高校生活から生まれたのか

ダンビラムーチョ大原さんの出身高校はどこ?

さっそくですが、大原さんの出身高校を明らかにしちゃいます!

大原さんの出身高校は、山梨県甲府市にある

山梨県立甲府東高等学校です。

山梨県立甲府東高等学校は、1977年に開校した比較的新しい共学校です。

偏差値は学科によって多少前後しますが、

およそ58~67と県内では上位に位置する進学校として知られています。

・普通科の中で大学進学を目指す「普通科A」

・スポーツ推薦で入学する生徒のための「普通科B」

・理系の大学進学を目指す「理数コース」

こちらの3つのコースが設置されているのが特徴です。

大原さんがどのコースに所属していたのかは、残念ながら情報が見つかりませんでした。

ちなみに、甲府東高校出身の有名人では

千葉ロッテマリーンズで活躍する友杉篤輝選手などがいます。

大原さんは友杉選手の2学年先輩にあたります。

甲府東高校は、文武両道を掲げ、部活動もけっこう盛んです。

大原さんは野球部に所属されていました。

大原さんの高校時代での野球部でのエピソードに迫ります!

大原さん弱小野球部時代の知られざるエピソードを大公開!

甲府東高校の野球部に所属していた大原さん。

文武両道を掲げる進学校ですが、実は、大原さんの代では、

1勝もできないほどの弱小野球部だったそうです。

大原さん自身も

大原さん
大原さん

自分が入学してから高校3年生の春まで、公式戦で1度も勝ったことがなかった

と語られています。

そんな弱小野球部時代の大原さんは、どんな思いで日々練習に励んでいたのでしょうか?

高校3年生の最後の夏大会、甲府東高校野球部は快進撃を見せます。

なんと! なんと2勝をあげベスト16まで進出したのです!

山梨県は当時、参加校が39校だったので、2勝すればベスト16。

もしくはベスト8進出が確約されていた時代。

これは快進撃ともいえるでしょうね

しかし、そんな喜びもつかの間、次の試合で大原さんはエラーをしてしまい、チームは敗退・・・。

大原さん
大原さん

僕のミスで負けてしまいました

と、当時のことを振り返りながら語っています。

この苦い経験が、大原さんのその後の成長に大きく影響しているのかもしれません。

ちなみに、大原さんは高校時代、授業中に上履きのかかとを踏んで先生に怒られたり、

卒業式の卒業証書授与式に青いマウンテンパーカーで出席したりと、少し変わった行動をとっていたようです

真面目なだけじゃない、ちょっとお茶目な一面も持ち合わせていたんですね!

エラーで敗北したことが大原さんのお笑い芸人としての原点に!

高校3年生の夏の大会、2勝して迎えた試合での痛恨エラー。

弱小チームの逆襲だっただけに、そのときの悔しさは計り知れません。

しかし、大原さんは、この経験をバネに、その後のお笑い芸人としての道を歩み始めます。

大原さんは、大学時代に東洋大学のお笑いサークル「Dangers」に所属されました。

そこで今の相方である原田フニャオさんと出会います。

そして、大学3年生の時に、共にNSC(吉本総合芸能学院)東京校に入学します。

高校時代、真剣に野球と向き合い、仲間と共に過ごした日々。

そして、最後の試合でのエラーという、一生忘れられない経験。

こうした経験が、大原さんのお笑いに対する情熱の源になっているのかもしれません。

大原さんのネタには、高校野球を題材にしたものが多くあります。

弱小野球部時代の経験を笑いに変え、多くの人を笑顔にしている大原さん。

その背景には、高校時代の苦い経験があったのですね。

漫才とパチンコに熱中!?大原さんの大学時代とNSC時代

大学3年生でNSCに入学した大原さん。

お笑いの道を歩み始めますが、大学生活では、予想外の出来事が待っています。

なんと、NSCでの活動と並行して、パチンコにも熱中するようになったそうなんです。

特にハマっていたのは、「CR北斗の拳剛掌」と「CR銭形平次」

大原さん
大原さん

漫才とパチンコにのめり込んでしまい、あまり大学に行かなくなってしまいました。。。

と、当時を振り返って語っています。

大学4年生で提出するはずの卒業論文も、締め切りギリギリまで手をつけなかったそうです。

その影響で単位が足りず、卒業論文を提出したにも関わらず、留年が決定してしまいます。

その後も、パチンコ熱は冷らず、今度は「CR AKB48」にハマってしまいます。

結局、大学を卒業するまでに、なんと7年もかかってしまったそうです!

「漫才とパチンコ」という、一見ミスマッチにも思える組み合わせです。

しかし大原さんにとって、どちらも真剣に取り組んでいたからこそ、

どちらも手を抜くことができず、悩ましい日々を送っていたのかもしれませんね。

まとめ

今回は、ダンビラムーチョ大原さんの高校時代について、

エピソードを交えながら振り返ってきました。

どこの高校に通ってたの?
どんなメンバーと野球してたの?
本当に弱小野球部だったの?

これらについてお伝えしてきました。

・山梨県立甲府東高等学校出身
・高校3年夏の大会まで1勝もできず
・最後の大会は大原さんのエラーで負ける

「弱小野球部あるある」ネタで私たちを笑わせてくれる大原さんですが、

その背景には、高校時代の弱小野球部での経験や、最後の夏の大会でのエラーという苦い思い出があったんですね。

高校時代、真剣に野球と向き合った経験、そして仲間と過ごしたかけがえのない時間は、

きっと大原さんのお笑い芸人としての糧になっているのではないでしょうか?

これからも、私たちに笑顔を届けてくれるダンビラムーチョ大原さんの活躍に期待しましょう!

error: Content is protected !!