しょこたんの父親も才能溢れる人物
1980年代に歌手や俳優として 中川勝彦さんとして活躍されていました。
端正な顔立ちから多くのファンを魅了していたそうです。
しかし、勝彦さんは1994年、32歳という若さでこの世を去ってしまいます。
死因は急性骨髄性白血病でした。
今回は、伝説のイケメンと謳われた中川勝彦さんの魅力、白血病との闘い。
そして娘である中川翔子さんへの影響について、詳しくお伝えしていきます。
勝彦さんの人生は、まさに「推しの子」状態だった!
中川勝彦さんといえば、「超イケメン」で有名でした。
しょこたんも、事あるごとに父親のイケメンエピソードを披露しています。
例えば、しょこたんが幼い頃、親子でディズニーランドへ行った時のこと。
すれ違う人々が皆、勝彦さんに見惚れていたというエピソードがあります。
特に女性は、まるで漫画の登場人物のように目がハートマークになっていたとか・・・(笑)
また、しょこたんの幼稚園の父親参観日に勝彦さんが現れた際には、先生方から黄色い歓声が上がったという話もあります!
当時の勝彦さんは長髪で、まさに絵になる美男子。
関係者から当時の芸能界で「あれだけ綺麗な顔の人は見たことがない」と言われるほどの美貌だったそうです。
そして、勝彦さんのイケメンぶりを語る上で欠かせないのが、1986年のドラマ「白虎隊」で演じた沖田総司役です。
あまりにも男前すぎて、「沖田総司の理想像」と言われるようになったほどです。
そして、勝彦さんは気さくでユーモアあふれる人柄でも知られていました。
ラジオ番組では下ネタトークを繰り広げ、それが人気を博していたという意外な一面もあります。
美貌と才能、そして人柄・・・
中川勝彦さんは、まさにスターの素質を全て兼ね備えた人物だったと言えるでしょう。
まさにこれからという時に、中川勝彦さんを襲ったのは急性骨髄性白血病でした。
1992年7月、30歳の誕生日の翌日に突然倒れてしまったのです。
それまで、食欲不振や体調不良もあったようですが、病院へ行くことはなかったといいます。
急性骨髄性白血病は、血液のがんの一種で、当時はまだ治療法も確立されておらず、生存率も低い病気でした。
約9ヶ月の闘病生活の後、一度はステージに復帰できるまでに回復したのです。
しかし、1994年8月に白血病が再発。
そして、わずか1ヶ月後の9月17日、 32歳という若さでこの世を去りました。
当時、娘の中川翔子さんはまだ9歳でした。
治療の選択肢として骨髄移植もありましたが、適合するドナーが見つかりませんでした。
最後の望みとして、しょこたんの骨髄を調べようという話も出ました。
しかし勝彦さんは「自分の命を助けるために、小さな翔子の体に負担はかけられない」とそれを拒否したのです。
しょこたんは当時、骨髄移植が怖いからと拒否したと思っていましたが、
後に、父親が自分のために断っていたことを知りました。
「自分のことをそんなに考えてくれていたなんて知らなかった」と、涙ながらに語っています。
勝彦さんの死は当時の音楽界、そして多くのファンにとって、大きな衝撃でした。
若すぎる死は、本当に無念でなりません。
しかし、彼の残した音楽、そして娘のしょこたんの活躍は今もなお、多くの人々に勇気を与え続けています。
中川勝彦さんが白血病で亡くなってから17年後の2011年2月、衝撃的な出来事が起こりました。
なんと、勝彦さんのスキャンダル画像がインターネット上に流出したのです。
流出した写真は、勝彦さんが妻以外の女性と親密な様子を写したものです。
合計24枚にも及んだと言われています。
これらの写真は、すぐに削除されましたが当時大きな話題となり、多くのファンに衝撃を与えました。
一体なぜ?
亡くなってから長い年月が経った後に、このようなスキャンダル画像が流出したのでしょうか?
その真相は、現在も謎に包まれていますがいくつかの憶測が飛び交っています。
最も有力な説はマーケティング戦略です。
実は、スキャンダル画像が流出した時期とほぼ同時期に、勝彦さんの絵本「未知の記憶」の復刻版が発売されました。
この偶然の一致から、話題作りを狙って意図的に流出させたのではないかという見方が強まりました。
また、当時を知る関係者からは、勝彦さんが生前所属していたレコード会社が、何らかの形で関与していたのではないかという声も上がっています。
真実は、闇の中ですが、故人のプライバシーを軽視した行為であることは間違いありません。
私たちに、 インターネット社会における倫理観や故人への敬意について改めて考えさせる出来事と言えるでしょう。
中川翔子さんの父親であり、マルチな才能で活躍した中川勝彦さん。
私たちに鮮烈な印象を残し、あまりにも早くこの世を去りました。
彼の死後、娘のしょこたんは、父親の才能と愛情を受け継ぎ、芸能界で活躍されています。
しょこたんは、父親の楽曲をカバーしたり、父の描いた絵をモチーフにした服をデザインしたりと
様々な形で父親への想いを表現されています。
彼の残した作品、 そして娘のしょこたんの活躍を通して、 彼は今も生き続けていると言えるでしょう。