高学歴芸人!
独特な世界観のコントで人気急上昇中のお笑いコンビ「男性ブランコ」
ボケ担当の平井まさあきさんはインテリ芸人としても知られています。
平井さんってどこの大学に通ってたの?
学生時代はどんな感じだったんだろう?
今回は、平井まさあきさんの知られざる一面に迫ります!
物静かでちょっとミステリアスな雰囲気とは裏腹で意外な学生生活とは!
穏やかな口調と独特な世界観。
けっこう不思議な笑いを生み出す男性ブランコの平井まさあきさん。
そんな彼が、お笑いの世界に足を踏み入れることになった原点は、
周囲を笑顔にすることが大好きだった少年時代からなのです。
幼い頃の平井さんは、兵庫県豊岡市の豊かな自然に囲まれて育ちました。
幼い頃からお笑いが大好きで、人気番組「めちゃイケ」を見て芸人を志すようになったともいわれています。
当時の詳しいエピソードは明かされていませんが、持ち前の観察眼と表現力で、
クラスメイトを笑わせるのが得意だったようです。
例えば、休み時間にユニークな発想でみんなを笑顔にしていた姿。
学芸会で個性的な役を演じて笑いを誘っていた様子が目に浮かびます。
もしかしたら、当時からもノートにネタを書き留めていたのかもしれません。
小学生時代はクラスの人気者だったかもしれない平井まさあきさん
しかし、中学・高校時代に入ると、彼の中である変化が訪れます。
「早く大人になりたい!」
これは、のちに平井さん自身が語った言葉です。
賑やかだった小学生時代とは対照的に
中学・高校時代は静かに過ごしたいという気持ちが強くなっていったようです。
一体なぜ、彼の心境に変化が訪れたのでしょうか?
思春期を迎える中で周囲との関係や将来に対する漠然とした不安を抱えていたのかもしれません。
小学校時代は「面白いこと=良いこと」という価値観の中で人気者でしたが、
中学・高校では「お笑い」よりも「勉強」や「部活」が重視されるようになり
自分の居場所を見つけられずにいた 可能性も考えられますね!
高校時代から平井さんはすでにNSCの存在を意識していたという情報があります。
もしかしたら、周囲の期待に応えるように勉強に励みながらも
心の中では芸人への夢を諦めきれずに葛藤していたのではないでしょうか?
静かな高校生活を送る中で、彼の心には
「早く大人になって、自分の好きなことを自由にやりたい」という気持ちが日に日に強くなっていったのかもしれません。
「早く大人になって自由になりたい」
という想いを胸に秘めていた平井まさあきさん。
高校卒業を控え、将来について深く考える時期を迎えます。
幼い頃からお笑いが大好きで、すでにNSCの存在も知っていた平井さん。
しかし、 高卒でNSCに進む勇気を持つことはできなかったそうです。
当時の心境を想像すると、
「芸人として成功できるか不安」
「親や先生に反対されるかもしれない」
「安定した将来を描けるか心配」
といった葛藤があったのではないでしょうか。
そんな中、平井さんは
滋賀大学経済学部社会システム学科へ進学します。
国立大学の中でも難関と言われる滋賀大学を選んだことから、
周囲の期待に応えつつも現実的な進路を選択した と推測できます。
大学で経済学部を選択したということは、将来の選択肢を広げるという意味でも決して無駄ではなかったはずです。
もしかしたら、平井さんは 「大学でしっかりと学びながら、お笑いの道を探る」という道を選んだのかもしれません。
大学進学は、平井さんにとって夢と現実のバランスをとった結果だったと言えるでしょう。
夢を胸に秘めつつも、現実的な進路を選んだ平井まさあきさん。
滋賀大学経済学部社会システム学科に入学した彼は、
そこで人生を変える運命の出会いを果たします。
それは、後にコンビを組むことになる相方・浦井のりひろさんとの出会いです。
二人が出会ったのは滋賀大学と滋賀県立大学の合同演劇サークルでした。
当時の滋賀大学にはお笑いサークルがなく、演劇サークルがコントを披露していたのを見たことがきっかけで入部を決めたそうです。
当時を振り返って、平井さんは
(浦井さんが)ファニーな顔のやつが肉を焼いてるなと思った
と語っています。
この何気ない出会いが、後に日本中を笑いの渦に巻き込むコンビ誕生の瞬間だったのです。
大学時代、二人は共通の趣味でさらに絆を深めていきます。
ラーメンズ、水曜どうでしょう、立川志の輔の落語など
お笑いの好みが合致した二人は、一緒に劇場へ足を運ぶこともあったようです。
とはいえ、二人の関係は「いつも一緒にいるようなベタベタとした関係ではなかった」と平井さんは語っています。
それでも、月に一度はマクドナルドで集合して近況報告をするなど、
適度な距離感を保ちながら友情を育んでいたようですね。
もしも、平井さんが別の大学に進学していたら・・・?
もしも、あの時、演劇サークルに入っていなかったら・・・?
運命のいたずらは、私たちの人生を大きく左右するものです。
平井さんと浦井さんの出会いは、まさに運命的な出会いだったと言えるでしょう。
滋賀大学での出会いを機に、平井さんの心には再びお笑いへの情熱が燃え上がっていきます。
滋賀大学で運命の出会いを果たした平井まさあきさんと浦井のりひろさん。
二人は、滋賀大学と滋賀県立大学の合同演劇サークルで、多くの時間を共有することになります。
当時のサークルは、かなりハードだったようです。
平井さんは、筋トレや感情解放など、独特な活動内容について語っています。
また、本番が近づくと「小屋入り期間」として、1週間も泊まり込みで練習に励んでいたそうです。
大学生活よりもサークル活動が中心の、熱量の高い日々を送っていたことが伺えます。
共通の趣味の話で盛り上がり、時には一緒に劇場へ足を運ぶこともあった二人。
演劇サークルでの活動を通して、お互いのお笑いに対する情熱や才能を認め合っていったのではないでしょうか。
しかし、平井さんは大学卒業後、すぐにNSCへ進むことを決めていたのに対し、
浦井さんは大学を中退してまでお笑いの道に進むことに迷いがあったようです。
大学卒業間際、平井さんは浦井さんにある決断を迫ったのではないでしょうか。
それは、「一緒にNSCに行こう!」という誘いではなく、
「お笑いの道に進むか、別の道を進むのか、自分の道を決めろ!」というもの。
仲間だからこそできる厳しい言葉だったのかもしれません。
結果的に、二人は共に大阪NSC33期生として入学します。
この決断には、平井さんの「どうしても浦井さんとコンビを組みたい」という強い思いがあったからこそでしょう。
そして、浦井さんもまた、平井さんとの出会いがなければ、お笑いの道に進むことはなかったかもしれません。
お笑いコンビ「男性ブランコ」誕生の礎を築いたと言えるでしょう。
2010年、大阪NSCに33期生として入学 。
コンビ名は、ネタ合わせをしていた公園で 二人揃ってブランコに乗っていたことが由来となり、
男性ブランコと決定しました。
大学時代に演劇合同サークルで共に汗を流し、笑いを追求した日々。
それは、二人にとって かけがえのない財産 となり、「男性ブランコ」としての成功 へと繋がっていくのです。
男性ブランコのネタは、どこかシュールで、そして知的な笑いを感じさせますよね。
それは、平井まさあきさんの独特なお笑い観に起因しているのかもしれません。
平井さんは、お笑いと社会との関わりについて、次のように語っています。
お笑いは、社会を映す鏡であるべきだと思っています。 社会問題や時事ネタを扱ったり、時には観客に考えさせるような、そんな深い笑いを追求していきたいです
平井さんは、滋賀大学経済学部社会システム学科で社会構造や社会問題について学んでいた経験があります。
もしかしたら、学生時代に得た知見や問題意識が、彼のお笑い観に大きな影響を与えているのかもしれませんね。
例えば、平井さんは深海魚に強い興味を持っていることが知られていますね。
水族館巡りが趣味で、図鑑を読み漁ったり、自ら深海魚の生態についてのコラムを連載したりと、
その熱意は並大抵ではありません。
今後、男性ブランコのコントで、平井さんの深海魚愛が爆発する日が来るかもしれません!
男性ブランコの平井まさあきさんの大学についてお伝えをしてきました。
平井さんってどこの大学に通ってたの?
学生時代はどんな感じだったんだろう?
・滋賀大学経済学部(国立大学)出身
・大学の演劇合同サークルでコントに目覚める
・相方の涌井さんともそこで出会った
平井さんが生み出す、社会を映す出すお笑いは時代にマッチしているといえます。
今後は社会問題と深海魚を掛け合わせた、誰も見たことのないようなシュールなコントが誕生する可能性もあります。
平井さんの知的な感性と社会に対する眼差しは、男性ブランコのお笑いをさらに進化させていくことでしょう!