80年代の女子プロレス界を一世風靡したクラッシュギャルズ。
彼女たちの試合に熱狂し、歌を口ずさんだ人も多いのではないでしょうか?
しかし、その輝かしい活躍の裏で、長与千種さんとライオネス飛鳥さんの間には、
深い確執があったことを知っていますか?
「もしかして、あの2人って仲が悪かったの?」
そんな疑問を抱えている方もいるかもしれません。
この記事では、クラッシュギャルズの不仲説について、徹底的に掘り下げていきます。
なぜ、不仲説が浮上したのか?
さまざまな要因が絡み合い、2人の関係に亀裂を生じさせたと言われています。
しかし、ご安心ください(笑)
悲しい話だけで終わりません!
この記事を読めば・・・
・クラッシュギャルズ不仲説の真相
・不仲の原因となった具体的なエピソード
・2人が和解に至るまでの経緯
これらがすべてわかります。
2人のことが大好きで、その真実を知りたいと思っている人は多いです。
この記事を読めば、長年の疑問がスッキリ解消され、クラッシュギャルズのことをもっと好きになること間違いなし!

クラッシュギャルズの不仲説。
多くのファンが抱く大きな疑問ですよね。
「あんなに仲が良さそうに見えた2人が、なぜ?」
と、気になっている方も多いのではないでしょうか。
ここでは、クラッシュギャルズ不仲説がどのようにして浮上したのか、その真相に迫っていきます。
①人気の不均衡
クラッシュギャルズは、1980年代に爆発的な人気を博しました。しかし、その人気は長与千種さんに集中する傾向がありました。試合前の選手コールでも、長与さんの名前が呼ばれると一段と大きな歓声が上がったといいます。
一方、ライオネス飛鳥さんは、その人気の差に劣等感を抱くようになったといいます。
②芸能活動での葛藤
クラッシュギャルズは、プロレスだけでなく、歌手としても活躍しました。ヒット曲を連発し、エンターテインメント界でもその存在感を示しました。
しかし、ライオネス飛鳥さんは、芸能活動に乗り気ではありませんでした。 彼女は、プロレスに専念したいと考えていたのです。芸能活動とプロレスとの両立に苦悩し、葛藤を深めていったといいます。
③空手特訓での挫折
クラッシュギャルズは、空手をトレーニングに取り入れていました。 長与千種さんは、以前から空手を習っていたため、スムーズにトレーニングをこなすことができました。
しかし、ライオネス飛鳥さんは、空手の経験がなかったため、なかなか上達しませんでした。空手の特訓で挫折感を味わい、精神的に追い詰められていったといいます。
④性格や方向性の違い
長与千種さんは、カリスマ性があり、独自のアイデアでファンを魅了するタイプでした。一方、ライオネス飛鳥さんは、ストイックで真面目な性格だったといいます。
2人の性格や方向性の違いも、不仲説に影響を与えたと考えられます。これらの要因が複雑に絡み合い、クラッシュギャルズの2人の間に、見えない溝ができていったのです。
しかし、これはあくまで不仲説の真相の一部にすぎません。
次に、解散の経緯について見ていきましょう。
解散の経緯について

クラッシュギャルズの解散。
それは、ファンにとって衝撃的な出来事でした。
「なぜ、人気絶頂の2人が解散してしまったのか?」「不仲説が解散の原因だったのか?」さまざまな憶測が飛び交いました。
ここでは、クラッシュギャルズの解散の経緯について、詳しく見ていきましょう。
クラッシュギャルズは2度の解散を経験しています。
1度目の解散(1990年)
クラッシュギャルズは1990年に解散しました。
その背景には、さまざまな要因がありました。
ライオネス飛鳥さんの芸能活動休止宣言
1985年5月13日、ライオネス飛鳥さんは横浜文化体育館での試合後。
突然「芸能活動を休止する」と発表しました。
この決断は、誰にも相談せずに独断で決めたものでした。
この発表により、2人の間にはさらに深い溝が生まれました。
長与千種さんの引退
1989年、長与千種さんは引退を決意します。
これは、全日本女子プロレス(全女)の運営側が、クラッシュギャルズの人気が下降傾向にあると判断しました。
「クラッシュギャルズ・解散試合」を企画したことへの強い反発からでした。
長与千種さんは、「解散試合をすれば、コンビが完全に消滅してしまう」と考え、「一人で引退を決意し、クラッシュギャルズの解散を阻止しよう」としたのです。
全日本女子プロレス(全女)の25歳定年制
1980年代の全女には、「25歳定年制」という独特なルールが存在していました。
このルールにより、女子選手たちは25歳になると引退を余儀なくされ、長与千種さんも例外ではありませんでした。
人気絶頂期だった長与千種さんも、徐々に全女側からの圧力を感じるようになります。
長与千種さんは、当時ジャパン女子プロレスのエースとして注目されていた神取忍さんとの対戦を熱望していました。
しかし、全女の経営側は、この対戦が全女にとってメリットが少ないと判断し、神取忍さんとの対戦を拒否しました。
2度目の解散(クラッシュ2000)
1度はプロレス界を引退した2人ですが、その後ともにプロレス界に復帰します。
長与千種さんとライオネス飛鳥さんのコンビは2000年に「クラッシュ2000」として復活しました。
しかし、クラッシュ2000は2005年に解散しました。
クラッシュ2000ファイナルマッチ&ライオネス飛鳥引退試合により、クラッシュ2000は解散したのです。

これらの解散の経緯を知ると、クラッシュギャルズの2人が、いかに複雑な状況に置かれていたかがわかります。しかし、2人の物語は、これで終わりではありません。
25年間の沈黙を破って

TBS「爆報!THEフライデー」での告白
2014年、長与千種さんとライオネス飛鳥さんは、TBSの番組「爆報!THEフライデー」に出演しました。
1990年の解散の真相や、2人の間に25年にわたる確執があったことを告白しました。
この番組で、2人はお互いの胸の内をさらけ出し、わだかまりを解消することができたといいます。
飛鳥さんの嫉妬心と劣等感
番組では、飛鳥さんが長与さんに対して抱いていた嫉妬心や劣等感が、確執の原因だったことが語られました。
人気が長与さんに偏っていく中で、飛鳥さんは劣等感を募らせ、精神的に追い詰められていったといいます。
一方、長与さんも、飛鳥さんに対して申し訳ないという気持ちを抱いていたことを明かしました。
人気が先行する中で、飛鳥さんの気持ちに寄り添えなかったことや、会社への抵抗から一方的に引退してしまったことを後悔していたといいます。
「将来、どっちも結婚しなかったら楽園でも作ろう」
番組の最後には、長与さんと飛鳥さんは、将来について語り合い、「将来、どっちも結婚しなかったら楽園でも作ろう」と笑い合いました。
この言葉には、過去の確執を乗り越え、新たな絆を築いていこうという2人の決意が込められているように感じます♪
現在の関係
現在、長与さんと飛鳥さんは、不仲ということはなさそうです。
バラエティ番組で再会し、握手するシーンや、歌を歌うシーンなどもあり、良好な関係を築いていることが伺えます。
ダンプ松本さんとも仲の良い関係に戻っているようです。
これらのエピソードを知ると、クラッシュギャルズの和解は、単なる仲直りではなく、2人が過去の苦しみを乗り越え、新たなステージへと進むための出発点だったといえるでしょう。
2人の物語は、私たちに希望と感動を与えてくれます。
クラッシュギャルズの不仲説から和解まで、波乱万丈な道のりを振り返ってきました。
1980年代、女子プロレス界を席巻したクラッシュギャルズ。
リング上での激しい戦いだけでなく、アイドル的な人気も博し、社会現象を巻き起こしました。
しかし、その裏側では、人気格差や方向性の違いから、不仲説が囁かれるようになり、1990年に解散という結末を迎えました。
クラッシュギャルズの物語は、私たちに挫折や葛藤を乗り越え、新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれます。
今後の女子プロレス界は、長与千種さんが設立した「Marvelous(マーベラス)」が中心となるでしょう。
そこでも、クラッシュギャルズの伝説は、永遠に語り継がれることでしょう。