「ぼく、ドラえもん」
誰もが耳にしたことがある独特な優しい声。
国民的人気アニメ「ドラえもん」で、
26年間もの間ドラえもんの声優を務められた大山のぶ代さん。
2024年9月29日、大山のぶ代さんは、90歳でその生涯を閉じられました。
大山のぶ代さんはアルツハイマー型認知症と診断されたことが、
夫である砂川啓介さんによって公表されていました。
認知症は、記憶力や思考力、判断力などが低下していく病気です。そこで、
そこで、大山のぶ代さんも、病魔との闘いの中で、
自身が演じた「ドラえもん」を忘れていたのか?
についてお伝えをしていきます!
壮絶な闘病生活と、変わらぬ声優魂、そして私たちに残された「ドラえもん」のメッセージとは!
大山のぶ代さんは、認知症と診断された後も、
ご自宅でテレビ朝日版「ドラえもん」を見ることはあったそうです。
しかし、夫の砂川さんによると、「ドラえもん」を見ても特別な反応はなく、
自分がかつてドラえもんの声優を務めていたことを
覚えていない可能性が高かったといいます。
一方で、大山さんは認知症と診断される2年前の2010年から、
ゲームソフト「ダンガンロンパ」シリーズのモノクマ役を担当していました。
モノクマは、白と黒のクマのぬいぐるみのような姿をした、強烈なキャラクターです。
2015年7月には、舞台「スーパーダンガンロンパ2 THE STAGE」でモノクマの声を収録し、
約1年ぶりに声優業にも復帰しました。
この時、大山さんはモノクマのことを
「相変わらず可愛いキャラね」と 記憶していた そうです。
このことから、大山さんの記憶は、
部分的に残っていた可能性があります。
特に、晩年まで関わっていた「ダンガンロンパ」のモノクマは、記憶に残りやすかったのかもしれません。
もしかしたら、「ドラえもん」という作品自体ではなく、
「ドラえもんの声」としては記憶の片隅に何かが残っていた可能性もあるのではないでしょうか
大山さんの「ドラえもん」の声は、多くの人の心に深く刻まれており、これからもずっと愛され続けるでしょう。
大山のぶ代さんは、認知症と闘いながらも、声優としての仕事を続けたいという強い意志を持っていたそうです。
2015年7月には、舞台「スーパーダンガンロンパ2 THE STAGE」のモノクマ役で、約1年ぶりに声優業に復帰しました。
この時、すでに認知症の症状が進んでいた大山さんですが、収録はスムーズに進み、スタッフを驚かせたそうです。
所属事務所は、「声の仕事を続ける意思はある」とし、台本を読むことに支障はなく、
声の仕事は可能だが、テレビなど映像の仕事は難しいという見解を示していました。
大山さん自身も、お仕事をすることで、認知症の進行を遅らせたいという思いがあったのかもしれません。
しかし、2015年10月、砂川さんは著書「娘になった妻、のぶ代へ」の出版会見で、
「仕事はできないと思う」と、大山さんのその後の声優業が困難であるとの見通しを示しました。
献身的な介護を続ける中で、砂川さんは大山さんの病状を深く理解し、難しい判断を迫られたのだと思います。
大山のぶ代さんは、晩年は認知症を患い、「ドラえもん」の声を忘れてしまったのか?
についてお伝えをしてきました。
・認知症の後もテレビでドラえもんは観ていた
・でも反応が無かったため忘れていた可能性が高い
・記憶の片隅に残っていると信じたい
しかし、大山さんが私たちに残してくれたものは、計り知れません。
26年間という長い歳月、大山さんの作り上げた「ドラえもん」の声は
日本中、いや世界中の子どもたちを笑顔にしてきました。
大山さんの人生は、まさに「声優魂」という言葉がふさわしいものでした。
がんと脳梗塞を乗り越え、認知症と闘いながらも、最後までマイクの前に立ち続けようとしたその姿は、
私たちに多くの感動を与えてくれますね。
今後、AI技術の発展によって、大山さんの「ドラえもん」の声を再現することができるようになるかもしれません。
もしも、大山さんの声が、再び新しい「ドラえもん」作品の中で蘇ることがあれば、
それはきっと、多くの人にとって大きな喜びとなるでしょう。
大山さんの「ドラえもん」は、これからもずっと、私たちと共にあります。
そして、大山さんが残してくれた数々の作品は、未来へと受け継がれていくでしょう。